2009年06月30日

ゲームの本質

僕はいわゆるファミコン世代でして、ゲームのハードが変遷
してきた歴史をダイレクトに感じてきた世代です。

ニュー・スーパーマリオブラザーズニュー・スーパーマリオブラザーズ
(2006/05/25)
Nintendo DS

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若い乙女達からするとファミコンといえば、
もうスーファミのことをさしますし、マリオブラザーズといえば
スーパーマリオブラザーズなわけです。

光GENJIや男闘呼組ではなく、カツーンやNEWSや嵐なわけです。

でも実は昔のゲームは「制限された中での工夫」がすごいです。
光GENJIのローラースケートとかそういうことじゃないですよ。

今みたいに単純にいうとなんでもかんでもできるわけでなく、
ハードの性能が低いから、できることが限られてるわけです。
音数もそうだし、グラフィックや、容量もそうです。

人間ってスポーツでもそうなのですが、
ゲームって実は制限された中で競い合うものですよね?

そういった意味で、ゲームってルールを実はどれだけうまく作れて、
メリットデメリットが快感と不快感に繋がるのかというバランス取り
が非常に重要だと思っています。

 ああ、失敗したっ!!もう一回挑戦!

みたいなノリですね。これがクリアできた後に

 やった~~!クリアできた~~~!

が嬉しいわけで、適度な障害があるから気持ちよくなるわけで、
最初からなんでもかんでもオープンになってたら、
そもゲーム性って成立しないわけです。

恋愛ゲームも実はこの定義が当てはまるわけで、
大なり小なりキャラクターとの「会話」を経て「障害」をクリアし
そのキャラクターを落としていくという流れですよね。

でも恋愛は結果が出ていちゃいちゃパラダイスな状態も
楽しいわけですよね?

ここら辺に僕はヒントがあるのではないかと睨んでます。
睨んだところで何も考えていないわけですが、
まあ、こういう日もありということでお許し下さい。

しかし良い響きです、いちゃいちゃパラダイス。

略していちゃパラ、いいね!
いちゃパラ!ヒューッ!ヒューッ!

以下、拍手コメResです。