素直に、共鳴するということ

ディレクションという仕事を伝えるのに一番判りやすい言葉は、
「方向性を決定すること」である。

ゲームやコンテンツ含めてスポーツもそうなのだが、
監督というのは「決定」と「判断」をする人である。

「右か、左かどっちが正しいのか、即座に判断できるように」
「その理由を相手に判り易く伝えられる様にする」

という点である。

方向性を決定する、ということは同時に色々な他人に、
その決定した方向性がなぜ魅力的なのかを、
自分の言葉で伝えられなくてはならない。

僕がディレクターが天職だな、と思ったひとつの理由は、
作品の完成形が見えるからである。

企画を立てた瞬間に見えるのは、
発売するときのポスターであり、
オープニングムービーであり、
主題歌の方向性であり、
シナリオ、イラストの方向性であり、
何をお客様に伝えたら面白いと思ってもらえるのかということが、
企画を立ててる時に同時にすべてが脳裏に思い描かれる。

否応なしに、色々なことが浮かんでしまうのである。

この「ヴィジョンが見えること」「完成形が見えること」は、
基本的にはディレクターの適性の一つだと思う。

だからディレクターは、パッとはなれない。
なぜなら物を知らない人間や、人生経験をしない人間は
よほどの天才出じゃない限り、引き出しが狭い。

天才であっても他人の痛みを知らなければ、
他人に伝えるのは難しいだろう。

また大抵は引き出しが狭いということを知らないし、
親がそういうことを言ってくれるわけではないので、
自分の世界の中で閉じこもりがちである。

評価してくれる人にいつか出会えると待ってる日々、
そして、いつか自分の身をもって知るわけである。

「自分から動かない限り、何も変わらない」と。

言葉で言っても、それはただの言葉である。
だがそれは事実であり、手を差し伸ばしてくれるのを
待ってるのは愚かなことである。

仕事で差し伸ばしかけられた手は、
がむしゃらにつかまなければならないし、
チャンスをチャンスですよ、と教えてくれる人も少ない。

社会に出た以上、競争は始まってる。
学校ではないのに、どうしてそれを丁寧に親切に教えて
くれる人がいるのだろう。

大事なのは、自分がその瞬間をどう感じるか、ただそれだけである。

僕が知る限り、出来る人は例外なく色々なことを、
幅広く知り、見て、勉強して、がっついてる。

ただし、重要なのは縛られないことである。

僕が常々雲のように、といってるのは、
自分の考えに縛られ過ぎないというその一点である。

自分の考えが正しいと思ってても、
ふとした意見で、自分より面白い意見が出た場合は
それを素直にに取り入れる。

 あ、いいねそれ!

と、一言言ってしまえば、場は盛り上がる。
そして皆楽しくなる。

大事なのは自分の世界を表現することではない。
それはきっかけに過ぎず、自分の表現を広げて、
携わるスタッフ全員のものにできるかが大事なのである。

 自分の世界に閉じこもらない
 面白いと思ったことを、面白いという
 人から勧められたものを食わず嫌いをせずに認める
 知ったかぶりをしない。

そんな当たり前の素直さを持ってる人たちが以外と少ない。

その守ろうとしてるものは、
実は自分のプライドやエゴを守ろうとしてるだけのことが多いのである。

目の前の人間を打ち負かして、
あるいは頑なになって、一体何になるのだろう?

僕も偉大なディレクターやクリエーターたちに比べれば、
本当にまだまだ勉強不足である。

だから日々、人の意見や、見たもの、聞いたものに、
常に素直に感動し、共鳴できる心を持っていたいと思うのである。



共鳴(空虚な石)共鳴(空虚な石)
(2000/06/21)
Lily Chou-Chou

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